ライブ&レポート:プレス資料・リバーダンス10年の歴史
Jun 12, 2005
posted by moriy
《History 〜 リバーダンス10年の歴史》
1994
4月30日 | 現在のダンス・エンタテインメントショー『リバーダンス』が生まれるきっかけとなった7分間のパフォーマンスがユーロビジョン・ソングコンテストで放送され、世界中で約3億の人々に視聴される。 |
5月 | CDシングルがアイリッシュチャート初登場1位を記録、その後18週連続で1位をキープ。この記録は今でも破られていない。UKチャートでは最高9位を記録した。 |
8月 | 「リバーダンス for ルワンダ」キャンペーンでは、アイルランド国内で10万枚を記録したビデオの売り上げ金額から230,000IRポンドが寄付された。 |
11月 | 「リバーダンス」の7分間パフォーマンスがイギリスの権威あるロイヤルバラエティーパフォーマンスに特別招待を受け、チャールズ皇太子の前で披露された。 |
11月 | 2時間のショーに舞台化された『リバーダンス』のチケット販売開始。三週間で100万ポンドを売り上げる。 |
1995
2月9日 | アイルランド初のダンス・エンタテインメントショーとして、ダブリンのポイントシアターにて5週間連続完売公演を記録し、動員数は12万人を超えた。 |
4月7日 | 『リバーダンス』ビデオがアイルランドのチャート初登場1位の座を飾る。 |
5月8日 | 『リバーダンス』がロンドンコロシアムで行われた終戦50周年記念公演「ロイヤルガラ」にチャールズ皇太子からの特別招待を受け、20万人の観客の前で披露される。 |
6月5日 | UK版『リバーダンス』のビデオがリリースされ、初登場2位、翌週には1位の座を獲得。その後も7ヶ月間トップ1・2位の座をキープし続けた。この記録はUKにおけるミュージックビデオ売り上げ最高記録となり、現在も破られていない。 |
6月6日 | 『リバーダンス』初の海外公演となるロンドンのアポロ・ハマースミス劇場での公演が4週連続完売。 |
7月17日 | 英国王立音楽院のガラでは『リバーダンス』のパフォーマンスがエリザベス女王とマーガレット王女の前で披露された。 |
7月26日 | 大反響の末に終わったダブリンのポイントシアターで、再公演が決定。6週連続完売。 |
10月3日 | ロンドンのアポロ・ハマースミス劇場での再公演が決定し、6週連続完売。大反響により13週間に及んだ追加公演を終え、劇場のボックスオフィス記録を破る計151公演完売を達成した。 |
1996
3月14日 | セント・パトリックデーを記念し、ニューヨークのラジオ・シティー・ミュージック・ホールで行われた『リバーダンス』全8公演完売。初日公演では同ホールに於ける物販売り上げ記録を破る。 |
3月18日 | 『リバーダンス』ビデオがUSチャートで初登場19位 |
3月25日 | 『リバーダンス』CDがビルボードワールドミュージックチャートで1位を獲得。 |
3月28日 | 『リバーダンス ザ・ショー』の北アイルランド、ベルファストのキングスホール公演で4週連続完売の新記録を達成。 |
5月17日 | 『リバーダンス』が再びロンドンのアポロ劇場に戻り、チケットの前売りは500万ポンドを超える。また、当初三ヶ月半の予定だった公演は一月中旬までのロングランとなった。 |
8月 | 『リバーダンス』の公式サイト開設。 http://www.riverdance.com/ |
8月5日 | 『リバーダンス』のドキュメンタリービデオ〈Riverdance - A Journey〉がリリースされる。 |
9月21日 | 『リバーダンス』が400回公演の記念日を迎える。130万を超える人々が鑑賞した事となる。 |
10月2日 | ニューヨークのラジオ・シティー・ミュージック・ホールを皮切りに『リバーダンス』の全米ツアー開始。また、このツアーはアメリカを回る「Lee(リー)」カンパニーのデビュー公演となる。同時期にイギリスの「Liffey(リッフィー)」カンパニーとメインの「river(リバー)」カンパニーがツアーを行っていた。 |
11月11日 | ニューヨークのラジオ・シティー・ミュージック・ホールで収録された『リバーダンス ラジオ・シティー・ライブ』がUKで発売される。 |
11月12日 | テレビのクリスマス特番用に『リバーダンス』の一幕である"American Wake"をNashvilleにて収録。 |
11月15日 | 1997年に予定されていた13週間に渡るオーストラリア公演の前売り券35万枚全て完売。 |
11月15日 | 『リバーダンス』のロサンジェルス公演開始。全て完売。 |
11月18日 | サム・スミス著『リバーダンス ザ・ストーリー』が出版される。 |
12月 | 『リバーダンス』のCD、ビデオが同月の時点で150週もの間UKの音楽/ビデオランキングにチャートイン。 |
1997
1月10日 | 『リバーダンス』US ツアースタート。ボストンのワン・センターでの3週間公演完売。 |
1月17日 | プロデューサー、モイヤ・ドハティーがロンドンのアイリッシュクラブの名誉副会長に就任。 |
2月10日 | 『リバーダンス』UKツアーがエディンバラのプレイハウスを皮切りにスタート。 |
2月18日 | 『リバーダンス』のビデオがUSチャートで2位を記録。 |
2月26日 | 『リバーダンス』の音楽を担当したビル・ウィーランがアルバム『リバーダンス〜ミュージック・フロム・ザ・ショー』でグラミー賞のベスト・ミュージカル・ショー・アルバム部門を受賞。授賞式典で『リバーダンス』からのナンバーが披露された。 |
3月4日 | 『リバーダンス』がシドニーを皮切りにオーストラリア全公演完売ツアーをスタート。メルボルン、ブリスベン、アデレイドとパースをまわる。 |
3月8日 | ビル・ウィーランがアメリカン・アイルランド基金から演劇賞を授与される。 |
5月23日 | モイヤ・ドハティーが1997ヴーヴ・クリコ・ビジネスウーマン・オブ・ザ・イヤーに選ばれる。 |
6月4日 | 6都市を回るカナダ公演のチケットの初日売り上げカナダ記録を破る1100万ドルを記録する。 |
6月25日 | 『リバーダンス』初となる野外公演をバージニア州で二週間行う。 |
7月4日 | 『リバーダンス』がドイツオーバーハウゼンで、初となる英語圏外の観客の前で披露される。全て完売。 |
9月13日 | 『リバーダンス』1000回目公演を記念し、ボストンとバーミンガムで同時に公演が行われる。 |
9月13日 | ロンドンのハイドパークで開催されたプロムナードコンサートで4万人以上の観客を前にパフォーマンスを行う。 |
9月26日 | 再びニューヨークのラジオ・シティー・ミュージック・ホールに戻り、3週連続完売公演を行う。この記録は同ホール史上、2番目に長い連続公演記録となる。 |
10月18日 | 『リバーダンス』がシカゴのオーディトリアム劇場にて、アメリカに於ける最長公演記録を達成。 |
11月1日 | 『リバーダンス ラジオ・シティー・ライブ』のビデオが北米でリリース。 |
11月5日 | 豪華客船・QE2でメンバーによるゲストパフォーマンス。 |
11月10日 | 『リバーダンス』ロンドンのアポロ・ハマースミス劇場で4度目となる公演をスタートする。 |
1998
1月13日 | 本年度は3組目となるプロダクション「Lagan(レイガン)」カンパニーがバンクーバーフォードセンター公演にてスタートを切る。 |
3月21日 | リッフィー・カンパニーがニュージーランドのアオテア・センターにて公演開始。 |
6月18日 | アムステルダムのシネマエキスポにて『リバーダンス』を特別披露。 |
6月30日 | フランクフルトのヨーロッパ中央銀行の開設時に『リバーダンス』を特別披露。 |
8月7日 | モナコで開催されたモナコ赤十字50周年式典にて『リバーダンス』特別披露 |
8月12日 | 『リバーダンス』、ドイツのオーバーハウゼンからヨーロッパツアーを開始。 |
8月24日 | 『リバーダンス』がアメリカで行われているショーの中で1・2位を独占し、その週の最高売上を記録したとパルサーが報じた。 |
9月15日 | アルバートホールで開催された地震による犠牲者援助イベント「Explosive Dance」に出演し『リバーダンス』を特別披露。 |
9月17日 | モイヤ・ドハティーがアイリッシュタトラー誌が選ぶ"現在もっとも活躍する女性100名"に選出された。 |
9月24日 | 『リバーダンス』がニューヨークのラジオ・シティー・ミュージック・ホールで4度目の公演をスタート。 |
10月11日 | 1999年3月の東京、大阪公演発表を記念して、大阪で行われた大規模なパレードに参加。 |
1999
1月28日 | 1998年度『リバーダンス』はアメリカで最高売上を記録したバラエティー/ファミリーエンターテイメントに選ばれる。このアイリッシュダンス現象はデビット・カッパーフィールド、リングリング・ブラザーズやバーナム&ベイリー・サーカス等を上回る記録を達成する。 |
3月5日 | 『リバーダンス』日本初公演。東京と大阪公演は完売。大阪では10分にも及ぶスタンディングオーべーションを浴びる。 |
3月8日 | 『リバーダンス』東京国際フォーラム公演を皇太子妃殿下雅子様がご鑑賞。 |
4月14日 | 『リバーダンス』、パリのル・パレ・デ・コングレにてプレミア公演。 |
5月6日 | 『リバーダンス』メキシコシティーで初公演。 |
5月27日 | 40年の歴史を誇るフルブライトコミッション制度に初めて"ダンサーに贈る奨学金"をリバーダンスが提供。選ばれた二人のダンス奨学生は、ボストンカレッジのアイリッシュスタディー学科に籍を置き、インターナショナル全般について学ぶ。 |
6月1日 | 2000年春にブロードウェイのガーシュイン・シアターで行う期間限定公演を発表。 |
6月3日 | ドイツに於ける100万枚目のチケットセールスを記念して、ハンブルグでのオープニングナイトにて、団員に記念盾が贈られた。 |
8月21日 | ノルウェーの女王がオスロの赤十字基金の特別講演の鑑賞に訪れる。 |
9月19日 | アルマーニ冬物コレクションのショーがトルコとギリシャの地震被災者寄金の為に開催され、その一環としてローマのポポロ広場で『リバーダンス』を特別披露。 |
9月27日 | RTEのTrocaireチャリティーイベントで『リバーダンス』からのナンバー〈サンダーストーム〉を披露。 |
10月 | アーンスト&ヤングのアントレプレナー(企業家)・オブ・ザ・イヤー賞をプロデューサーのドハティーとマカルガンが受賞する。 |
10月22日 | ケルンで開催されたユネスコのチャリティーディナーでリッフィー・カンパニーがダンスを披露。 |
10月31日 | 第27回、赤十字と赤新月の国際会議のオープニングイベントで『リバーダンス』から〈ファイヤーダンス〉と〈ハートランド〉を披露する。 |
11月13日 | パームスプリングスで行われたアーンスト&ヤングのアントレプレナー(企業家)・オブ・ザ・イヤーの授賞式でダンスを披露。 |
2000
2月11日 | 『リバーダンス』のウェブサイトがリニューアルオープン。 |
3月16日 | 『リバーダンス オン ブロードウェイ』公演が新設された「Shannon(シャノン)」カンパニーのプロダクションによってニューヨークのガーシュイン・シアターにてスタート。アワードの受賞者でもあるアイリッシュデザイナー、ジョアンベルギンによる新しいコスチュームと、ウィーランによる新曲がBrian KennedyとTsidii Le Lokeによって披露された。 |
7月12日 | リッフィー・カンパニーによる『リバーダンス ザ ホームカミング』公演がダブリンのポイントシアターでスタート。ダブリンでのプレミア公演から5年目を迎えたが、ショーの人気は衰える事なく、観客に温かく迎えられる。 |
10月13日 | 『リバーダンス』アジアツアーが香港でのプレミア公演を皮切りにスタート。その後シンガポール、福岡、名古屋、東京、大阪と続く。 |
2001
4月26日 | シャノン・カンパニーがニューヨークの国連ビルで行われたチェルノブイリ・チルドレンプロジェクトをサポートするために、パフォーマンスを披露する。 |
5月28日 | イタリアでの初公演がミラノで行われる。 |
6月12日 | スペイン初となる公演が、リッフィー・カンパニーによってバルセロナで一週間行われた。 |
6月20日 | リッフィー・カンパニーによるポルトガル初公演がリスボンで行われた。 |
6月28日 | マドリッドの初公演を目前に、開演数時間前に現場が火事になるという悲劇がおこり、やむを得ずキャンセルとなった。火災によって沢山のものが失われたが、劇団は2001年8月28日には、ヨーロッパツアーの後半をドイツのケルンから再スタートすることを約束した。 |
8月26日 | シャノン・カンパニーが18ヶ月に及ぶガーシュイン・シアターでの公演を終える。 |
8月28日 | リッフィー・カンパニーは、約束通り2001年のヨーロッパツアーの後半をケルンからスタート。拍手喝采で迎えられた。 |
9月 | レイガン・カンパニーは9/11の悲劇を悼み、ツインタワー寄金に7万ドルを寄付。寄付金はテキサス公演のインターバル中にキャストによって集められた。 |
2002
1月15日 | リッフィー・カンパニーがUKツアーをベルファストからスタート。同地では5年ぶりとなる公演は、大反響により1週間延長となり、2週間で計3万5千人を動員した。 |
1月17日 | レイガン・カンパニーがメキシコ公演を皮切りに北米ツアーをスタート。 |
3月5・6日 | レイガンとリッフィー・カンパニーが公演5000回記念をサンフランシスコとエディンバラのプレイハウスにて行う。またそれを記念して、サンフランシスコ市長は3月6日を「リバーダンスデー」にすると表明。 |
7月5日 | モイヤ・ドハティーの貢献を称え、アルスター大学から名誉博士号が授与された。 |
8月 | リッフィー・カンパニーが2002年後半をエストニア公演でスタート。 |
2003
1月・3月 | リッフィー・カンパニーは3度目のオーストラリアツアーをスタート。キャンベラが新たに加えられ、同カンパニー初となる野外公演を実施。 |
2月24日 | ビル・ウィーランの貢献を称え、アイルランド国立大学から名誉博士号が授与される。 |
5月16日 | モイヤ・ドハティーとジョン・マカルガンの国内外に於ける素晴らしい実績を称え、アイルランド国立大学から名誉博士号が授与される。 |
6月21日 | ダブリンで開催されたスペシャルオリンピックスで特別披露。初めてアメリカ国外で行われた大会では、100人のダンサー達によるステージが披露された。 |
9月 | 新しく「Boyne(ボイン)」カンパニーが北米ツアーをスタート。15都市を回るツアーは初となるニューヘイブンを皮切りに開始。 |
10月 | リッフィー・カンパニーによるアジアツアーが北京からスタート。北京と上海は併せて11公演完売。およそ10万人の観客から拍手喝采を受けた。次に訪れた日本は新たに仙台と広島を加えた3度目のツアーとなった。 |
12月 | リッフィー・カンパニーは、初めての公演となったクアラルンプールでアジアツアー最終日を迎えた。 |
2004
2月12日 | リバーダンスファミリーに新しく「Avoca(アボカ)」カンパニーが加わり、フランスで初公演を迎えた。 |
2月 | 当月のみでリバーダンスの公式ウェブサイトが110万ヒットを記録。 |
4月 | 73万のウェブサイト訪問者による143万ヒットを記録し、同サイトの持つ記録を塗り替えた。 |
4月30日 | 10年前の今日、リバーダンスはユーロビジョン・ソングコンテストで初披露された。10周年公演を記念して、改修後華麗に生まれ変わったゲイエティー・シアターで特別公演を行う。 |
6月12日 | 新生「Foyle(フォイル)」カンパニーがゲイエティー・シアターで初公演。 |
6月29日 | 大反響により、ダブリン公演は4週間延長の末、8月28日に終演日を迎えた。 |
8月28日 | ゲイエティー・シアターの135年の歴史上、フォイル・カンパニーによる公演が最も成功した公演となった。 |
9月16日 | ボイン・カンパニーがアラスカのアンカレッジで初公演。 |
11月 | チェコ・ハンガリーにて初公演。 |