海外記事翻訳:トリニティ・アイリッシュ・ダンス・カンパニー Darren Smithインタビュー

Nov. 14, 2004
posted by moriy
原文掲載サイト:The CelticCafe
原文ページURL:http://www.celticcafe.com/Shows/Trinity/darren.htm
一次翻訳:moriy
注意:Air翻訳班の査読を受けていないやっつけ仕事です。意訳・中途半端訳満載のはずですのでその点ご容赦下さいませ。誤訳チェック大歓迎です。

トリニティの Darren Smith

DarrenがCeltic Cafeのために、彼の輝かしい人生の一部を垣間見せてくれた。彼は多忙な日々を送っており、彼とトリニティ・アイリッシュダンスカンパニーのメンバーは、2月2日(土)から次のツアーを始めようとしているところで、アイリッシュダンスファンとしてはうれしい話だ。トリニティを見逃したくないひとは、末尾の関連リンクをチェックして欲しい。(訳注:過去のインタビューなのであまり意味のない情報です)

彼はキャプションコンテストの入選者のために、ショーのペアチケットまで用意してくれた。(訳注:これもいまや無意味な情報)


インタビュー:
Darren、あなたは3歳の時から21年間ダンスを続けていますね。1997年に、すべての審判から満点がつくという珍しいケースで世界選手権を取ってから、あなたはプロのダンサーとしてのキャリアを歩み始めました。あなたが、自分の才能をもってすれば舞台芸術の世界で生きていけると考え始めたのはいつ頃ですか? また、ユーロビジョンとそれに続く世界的なアイリッシュダンスへの関心は、主に競技会に出場することを目標にしていたアイリッシュダンサーたちにとって、ダンスに取り組む姿勢の面で転回点になりましたか? さらに、リバーダンスとそのめざましい成功があなたたち若いダンサーが集まるダンスクラスの話題になったときの騒ぎはどんな感じでしたか?
(訳注:なんか矢継ぎ早の質問攻め!って感じですが、おそらく長いインタビューを短くまとめるためにこうなってるんでしょう。以下同様です)

ホントのところ、現実じゃないみたいな感じだね。あっという間に世界が変わってしまった。僕たちはずっと、毎週のようにfeis(訳注:地域的な小規模の競技会)に行って、年に一度は世界大会や北米大会、カナダ大会に行くという生活をしていた。それが突然様変わりして、プロを目指すために競争するという道が現れたんだ。ほとんどの親は子供がいろんなショーに参加することを純粋に誇りにしているんだと思うけど、きっとその子供たちがダンスでお金を稼いでくれたらなとも考えていると思う。何年にもわたって、ダンスにいくらお金をかけてきたかを考えたら無理もないよね。僕も長い間踊ってきたけど・・・両親がしてくれたことの半分も返せないでいる感じがするよ・・・「ありがとう」って言うだけでね。

数年前、リバーダンスの契約書にサインする寸前まで行ったんだ。いろんな理由があって断ったんだけど。あれだけ世界的に知られたカンパニーに参加するというのは相当なプレッシャーなんだ。ともあれ、僕は商業的な視点よりも、アーティスティックな視点から、トリニティのプリンシパルになる方を選んだ。その決断を後悔したことはないよ。非営利の世界にフラストレーションを感じるときもあるけど。

トリニティのダンサーはどのようにしてカンパニーに参加するんですか? あなたがリバーダンスではなくトリニティを選んだ具体的な理由を挙げてもらえますか? トリニティはほかのアイリッシュダンスショーとどこが違うのでしょう? 3年くらい前、わたしの地元でトリニティの公演を見たとき、とても楽しかった記憶があるのですが、現在のショーの内容はどのようになっているのでしょうか? Mark Howardは実験することに価値があるという信念を持っていますが、現在どんな要素が実験の対象になっているのでしょう? トリニティのファンはこれからのツアーに対して何を期待できるのでしょう?

トリニティのショーは、一番小さな編成でも16人の女性ダンサーと1人の男性ダンサーが必要なんだ。ふつうは18人の女の子と2人の男、3人のミュージシャンと3人の技術者というメンバーでツアーをしている。カンパニー全体では30から35人のダンサーのリストがあって、必要に応じて呼び出しをかけるようになっている。

僕がトリニティを選んだのは、それが唯一の存在だからだ。つまり、商業的なアイリッシュダンスショーが消えてしまったずっと後でも存在し続けることを目的とした非営利団体だから、と言えばいいかな。トリニティはAlvin Ailey American Dance TheaterPilobolusMark Morris Dance Co.などと並び称される存在だ。舞台芸術の世界は興行の世界と同じではないんだ。僕たちのレパートリーは常に変わり続けているから、同じツアーのなかでも、ある日の公演と、次の日の公演とで内容が変わっていることもあり得る。たとえばリバーダンスであれば、演目のリストが変わることはないし、1年のうち大半、同じことを繰り返して過ごすことになる。実際彼らは来る日も来る日も正確さを追い求めている。トリニティにいれば、アーティスティックな挑戦が待っているし、振付に参加することもできる。僕たちはさまざまなモダンダンスの振付家と一緒に仕事をしている。具体的には、最近はまたSean Curranと仕事をしている。彼は以前アイリッシュダンスを学んでいて、STOMPのメンバーだったこともある。彼はカンパニー(僕のいるほう、つまりトリニティ)のために『Jump, Jive, and Jig』という曲の振付を作った。この曲はスウィング-アイリッシュな作品だ。とても楽しいんだけれど、おそろしく疲れるんだよね! アイリッシュダンスは疲れるダンスだと昔は思っていたけれど・・・すこしスウィングを混ぜてみるといい(笑)(訳注:もっと疲れるよ、という意味)。2002年2月からの長期ツアーでは、アイリッシュダンスの新しい演目もいくつか入っている。Markは実験することと変わったことが大好きだ。彼は新境地を切り開くのが好きなクリエイティブ・ビジョナリーなんだ。今度のツアーも期待を裏切らないものになるよ。

『Curran Event』はまだプログラムに入っていますか? わたしはこの春にSean Curranのダンスカンパニーを見に行くのを楽しみにしているのですが、なにか彼の振付について話して頂けませんか?

Sean Curranは今まで一緒に働いてきた人の中で一番おもしろい人物の一人だね。以前はSTOMPのメンバーで、その前はアイリッシュダンサーだった。この作品(訳注:『Curran Event』)で彼がしたことは、基本的にはボディ・パーカッションとアイリッシュダンスを混ぜ合わせることだった。よくお客さんが、女の子がステージでパチパチやってるのをまねしてるよ。これを見れば、アイリッシュダンサーは腕や手を使っても人を驚かせることができるってわかるね。アイリッシュダンサーは、アイリッシュダンス以外のことを経験することがほとんどないから、違ったことをするのは苦手なんだけれど、このカンパニーには、やる気と才能にあふれた人材が集まっている。彼らは思いもよらなかった方法で自分の可能性を広げるチャンスに恵まれているんだ。

私たちはCelticCafeDANCERSというグループ(訳注:CelticCafeのメーリングリスト)をYahooに作っていて、あらゆる年齢、あらゆるレベルのアイリッシュダンサーが集まって、相当な規模になっています。ここ数年でダンサーの前に開けてきたキャリア面での選択肢を考慮に入れた上で、彼らにアドバイスをするとしたらどんなものになりますか? また、多すぎるのではないかと思えるほどのアイリッシュダンスのショーが共存していくことは可能だと思いますか?

「なせばなる」なんて言うと陳腐な表現のようだけど、本気でそう望んで、周りにサポートしてくれる人を集めて一生懸命やれば、きっとダンサーとしてのキャリアに進めると思うよ。世界中にチャンスはころがっているんだ。アイリッシュダンスのスクールがあるなんて思えないような国から出てきた人だっているんだから。

アイリッシュダンスショーがいくら多くても大丈夫だと思うよ。リアリティーTV系の番組(訳注:一般人を一定期間、合意の上の隠し撮りで追い続けるようなドキュメント・・・というかプライバシー暴露番組というか)だっていっぱいあるじゃない。その中には本当にアイリッシュダンスという芸術形式が好きで、世の中にそれがいかにすばらしいかを伝えたくてやっているものもあれば、単純に金儲けのためにやっているものもある。いわゆるアイリッシュダンスショーの中にはアイリッシュダンサーを使っていないものだってある。タップダンサーとかジャズダンサーとか、聞いた話ではダンサーでさえない人が出てたりもするらしいよ。ひどいよね。それでも模倣は最高のほめ言葉・・・なのかな(笑)?
(訳注:真似されるくらいアイリッシュダンスは素晴らしいものだと考えていいのかな?、というような感じ)

影響をうけたもの
あなたのお母さんもおばあさんも、北アイルランドのデリー州出身で、ダンスをしてらっしゃいましたね。お二人ともあなたのことを誇りにしていると思いますが、あなたがお二人から、ダンスのテクニックの面で、もしくはアイリッシュダンスに取り組む姿勢といった点で教わったことは何かありますか? またあなたにとって、ダンスにおいて、またその他の活動において一番のお手本になった人は誰ですか?

僕の母は僕のことをとても誇りにしてくれているし、何をするにも支えになってくれる。祖母は残念ながら数年前になくなってしまったけれど、彼女が最後に住んでいたバーミンガムの家のリビングで、ダンスをしたことはいまでも憶えているよ。もちろん彼女も僕を自慢にしていた。実際のところ、母はダンスのテクニックに関してはなにも教えてくれなかった。けれどダンスに対する姿勢という面では、競技会に勝つことと同時に、潔く負けることの大切さを教えてくれた。そしてどの分野でも、目標に対してポジティブであることを教えてくれた。

ダンサーとしてのキャリアの中で一番影響を受けたのは、間違いなくBrian Grant先生だね。今の僕があるのは、彼と彼の母親のBrigid(彼女もダンス教師だ)のおかげだと思う。

Grant School of Irish Dancingであなたにダンスを教えてくれた先生方のことと、あなたがダンサーとして成功するのをどう支えてくれたのかを話してもらえますか?

いま話したことの繰り返しになるけれど、より詳しく言うなら、Brianはまさにチャンピオン級のダンサーと優れたダンス教師、両方の神髄を極めた人だと思う。彼は僕を勝たせるために相当ハードに鍛えてくれたから、時々僕のことを殺そうとしてるんじゃないかと思ったりもした。でも彼は優しさを忘れることはなかったし・・・最近わかってきたんだけれど・・・真の友情をもって僕に接してくれていたんだ。Brigid(Brianの母親)はトロントで昔からダンスを教えていて、みんなからとても尊敬されていた。彼女はBrianが何度も世界タイトルを取るのをサポートし、僕に対しても同じようにしてくれた。二人とも、自分たちのためではなく本当に僕のことを考えて、僕のために教えてくれたんだ。二人には感謝してもしきれないくらいだよ。世界選手権の表彰台のトップに登るのはすごいことなんだ・・・ダンス教師が自分の生徒がそこに登るのを見る気分っていうのはどんな感じなんだろう・・・僕にはまだわからないけどね。

あなたが尊敬するダンサーは誰ですか?そしてその理由は? アイリッシュダンスにおいてあなたが引きつけられる「スタイル」とは? またトリニティであなたはどの程度振付に関わっているのですか?

ダンサーとしては、僕の教師であるBrian Grant、そしてColin Dunneを尊敬している。僕のダンスがBrianに似ていると言われたことが何度もあるけど、僕を教えてくれたのが彼なんだから当然のことだよね。Colinは本当にすばらしいダンサーだ・・・見るたびに驚かされるよ。僕のスタイルの話をすると・・・複雑な、おもしろいリズムに惹かれるね。自分自身はかなり男っぽいスタイルだと思う。パワフルなハードシューズのダンスが得意だけど、ジャンプにも自信がある。でもやっぱりリズムが一番の強みかな。

アイリッシュダンスはどこに向かっていると思いますか? 最近の競技会における衣装などの変化についてはよくご存じだと思いますが、あなたがタイトルを取っていたころと比較してどうですか? ところで、あなた自身はキルトを来て踊るのは好きでしたか?

アイリッシュダンスはもう大きな産業になってきているよね。開催される競技会も僕の時代から比べたらとてつもない数になってる。

衣装については、率直に言うと僕は伝統的なスタイルの方が好きだな。女の子の刺繍の入ったドレスなんか、リバーダンスみたいなシンプルなドレスとは比べものにならないくらい豪華だよ。伝統的な衣装には袖口や裏地の変わったデザインとか、いろいろきれいなのがあるよね。

キルトはねえ・・・当然男たるものキルトを着るべきなんだけど(笑)。ほんとうに正直に言うと、プロになる前はキルトが恥ずかしくてしょうがなかった。アイリッシュダンスに興味のない友達はキルトが何であるかさえ知らなかった。要はふつうのシンプルなスカートなんだけれど。自分の周りでスカートを着る人は母親くらいしかいなかった。でも大きくなるにつれて、だんだんとキルトが着るのが好きになっていったんだ。いまでもそうだよ。伝統的なキルトとジャケットっていう衣装は、いま主流になっているパンツとベストの衣装よりずっといいと思う。ただテクニカルな見方をすると、パンツとベストの組み合わせはよけいなものを隠してくれるから(訳注:おそらく、キルトが翻ったりする無駄な動きがないため、ステップだけが引き立って)うまく見えるっていうのはある。

まあ、競技会での衣装に関しては僕は伝統主義者だね。

カナダの才能
Celtic Cafeでは『Needfire』の話題を聞いて非常に盛り上がりました。そしてこのショーがツアーで回ってくれることを期待していました。あなたはトロントでの2回の公演でプリンシパルをつとめましたが、その経験はどのようなものでしたか? スコットランドの音楽やダンスに焦点を当てたショーが、アイリッシュダンスと同様の人気を得ることは可能だと思いますか? 可能だとしたらなぜそういった作品があまり出てこないのでしょう?

『Needfire』にはカナダのケルト系の優秀なパフォーマーがたくさん登場した。ツアーに出ればきっとヒットすると思う。残念ながら(これは僕が推測で言っているんだけど)、あれだけ有名なパフォーマーとダンサー40人、それに大編成のバンドを一つのステージに上げるわけだから、それでツアーに出るとなったら相当お金がかかるものになる。それに、僕たちは『ライオンキング』とか『マンマ・ミーア』といった作品と興行的資源(訳注:スポンサーとか、劇場とか、観客とか)を取り合ってるわけで、それらの作品と勝負できるほどのものではない。・・・結局はビジネスだからね。けれど僕が参加した2回の公演はとても楽しい経験だった。自分の故郷で行われたからなおさらね。

アイリッシュダンスショーが次々登場する間、いくつかスコティッシュの作品が出てきたのに僕は気づいていた。けっこう前のことだけどね。プロデューサーの中には、アイリッシュのブームを利用して、それを「ケルティック」という動きに変えていこうとしたんだ。結局そんなにうまくはいかなかったけれど、彼らが努力したことは責められない。ここ数年、フラメンコやスウィング、タップをテーマにしたショーがどれもヒットしている。ダンスはどんなものでもすばらしい・・・人間の身体がこんなことまでできるのかと驚くよね。僕たちはアイリッシュダンスが達したレベルに匹敵するケルティック(またはスコティッシュ)な作品を見られるだろうか?それは少し先の話になるだろうというのが僕の意見だ。

わたしはケープ・ブレトンやノヴァ・スコシアの音楽も好きなんですが、『Needfire』であなたは数多くの優れたパフォーマーと競演しましたよね。Mary Jane Lamond(訳注:歌手。アシュレイ・マックアイザックとともに来日しているらしい)やSlainte Mhath(訳注:5人組のバンド)といった人たちのことを話してもらえますか?

僕はカナダでもっとも才能あるミュージシャンや歌手と競演してきたと誇りを持って言えるね。アイルランド系のJohn McDermott(訳注:テノール)、Natalie MacMaster(訳注:フィドル)、Jesse Cook(訳注:ギター)、The Ennis Sisters(訳注:3人の姉妹によるユニット)、John Allan Cameron(訳注:2000.3.11の大島センセの日記)、Sandy McIntyre(訳注:詳細不明です)、そしてさっき言ってたMary Janeとか、ものすごく才能のあるSlainte Mhath。みんな正直で人が良くて、素朴な人たちだ。特にSlainte Mhathのみんなほどフレンドリーな人はいないね。ヨーロッパツアーも成功したし、彼らはうまくいっているみたいだ。Lisa(訳注:パーカッション・フィドル・ステップダンス担当)にはよくメールを送ってる。そろそろ返事をもらってもいい頃なんだけどな(笑)。

カナダにおけるグラミー賞ともいえるJuno AwardsであなたはNatalie MacMasterとともに登場しましたね。そのときのビデオをもう一度見たいんですけど、Webサイトで公開する予定はありませんか?

ああ、それはいい質問だね。でもあのビデオテープをどこにやったかわからないんだ。見つけたらきっとそうするよ。

あなたはTV番組によく出演されますし、映画にもいくつか出演されてますよね。それはどんな感じですか?なにかおもしろいエピソードがあったらお聞きしたいのですが。

Regis(Regis Philbin、『Tonight Show』の司会)は、僕が出演するときにはキルトを着るってことになってたんだ。結局彼は尻込みしてやらなかったけどね(笑)。

『Tonight Show』に出たときはこんなネタをやった。緩衝材のシートについてる空気のプチプチをすべてつぶすことができるかどうか観客のひとりに賭けてもらったんだ。リハーサルの時、踊り始めるとすぐ緩衝シートがビリビリに破れてしまって、うまくいくまで5回くらいやり直した。結局シートを段ボールにテープで貼って、それをまたステージに貼らなければならなかった。

僕たちは(あのとんでもない)映画『Mafia!』にも出た。とんでもなくデブなやつが(Tim O'Hare扮する)マイケル・フラットレーを殺して、そのデブがマイケルのかわりにステージに出てくる。そして最前列にいる自分の敵(訳注:マフィアの対抗勢力の幹部)の頭をけっとばすんだ(訳注:この間、トリニティのメンバーが、ステージ上でLOTDっぽく踊り続けているのです)。あんなにおもしろい映画でなかったら14時間も踊り続けるなんてできないと思うな。30秒しかないシーンのために14時間だよ。でも全部忘れられない思い出だね。

ダンスフロアの外で
あなたは大学でラジオ・テレビ放送技術を専攻されましたね。その理由は何ですか?また、ダンスで充分活躍した後はどのようなキャリアに進みたいですか?

僕は、講堂の中でじっと座って、実世界じゃ役に立たないような内容の、年取った人の話を聞いてるようなのが大嫌いなんだ。何かボタンを押して操作したり、電気製品をいじったりするのが好きなんだ。テレビはいろいろ遊べるおもちゃみたいに見えたし、実際そうだった。ただ残念なことに不規則なスケジュールの人には向かない業界なんだよね。ダンスの仕事がないときにはトロントのコンピュータストアで販売と仕入れの責任者として働いてるんだけど、そこの上司がすごく理解があって僕をサポートしてくれるんだ。だから必要なときにまとまった休みが取れる。テレビそのものに関わる業界じゃこうはいかないと思う。だからそっちの業界への道は将来の選択肢として持っておくことになるね。もしかしたらダンスの世界で別の道に進むかもしれない・・・TCRG(訳注:ダンス教師の資格)を取ったらどうなるか、とかね。パイロットにもなりたいんだ・・・そういう道もあるかもしれないけど、決めた訳じゃない、と思う。

最近はコンピュータにご執心のようですが、インターネットでの活動や、ファンからメールを受け取ったりということは?

もちろんメールは歓迎だよ。僕のWebサイトからでもいいし、ぼくのメールアドレスds at darrensmith.comに直接送ってもらってもいい。最近はサイトでいろいろ遊んでるから、たいていはメールを受け取れる状態でいるよ。

気晴らしに何をしますか? 好きな音楽は? 好きな本は? 空を飛ぶことのおもしろさについて教えてもらえますか? どのくらいの時間を飛行機にかけていますか? ツアーの期間中は何をして過ごしますか? 観光したり、写真を撮ったりするんですか? どんなことが楽しみですか?

小さい頃からコンピュータが好きで、ダンスをしていない時はコンピュータが副業になっている。もっと正しい言い方をすると「gadget freak」っていうか。なにか新しくてかっこいい電気製品が大好きなんだ。だから何かなくしたりすると(たとえば台湾から帰ってくるときになくしたポータブルMP3プレーヤーとか)、また新しいのを買えるチャンスだって思うわけ(笑)。写真にもはまってる・・・ニコンの一眼レフとレンズ2本、あとふつうのオートフォーカスのAPSカメラも持ってる。台湾に行ってきたときだけでフィルムを7本も使っちゃったよ!

音楽はいろいろ聴くね・・・カントリーとヒップホップ以外は何でも。最近は昔ほど本を読まなくなった。ふとしたきっかけでSFとかファンタジーにはまったりはするんだけど。

小さいときからパイロットになりたかった。ずっとあこがれだったね。この秋から飛行機操縦のライセンスの訓練を始める予定だったんだけど、台湾公演があるから延期することにした。地上での訓練が数ヶ月続くんだけど、クラスを休みたくなかったからね。何回か単発のセスナに乗ったこともあるよ。そのたびに何とかしてパイロットになりたいって思うんだ。単なる趣味でしかない(稼ぎにならない)としても、幸せになれると思うんだ。

台湾から帰ってきたばかりだから、この楽しい旅について話そうか。美しい仏教寺院や、雄大な山々、スクーターに5人乗りしてる家族とか、タクシーの群れの中で死ぬかと思ったこととか。食べ物もおいしかったし、公演会場もまるで巨大な宮殿のようだった。台湾の人たちが芸術や文化的なことに熱心なことには敬意を表すべきだね。会場は人々がダンスや、太極拳や、歌を練習したり、もしくはただ家族で散歩したりするような公共の場所の真ん中に設営されていた。そんなこと北米じゃありえないことだ。

台湾の人たちはいままで僕が旅した国の中でも特にフレンドリーな人たちだった。すばらしい国に行くと必ずすばらしい人に会えるものだよ。僕は同じ土地に2日以上滞在したいんだけど、そういうことはめったにないけど。滞在できるときはあちこち回って人々とふれあうことができる。ホントにいろんなところに行ったから、もう半分も思い出せないな。たぶん忘れてしまった方がいいような場所もあるんだろうけど、印象深い場所で何日間か過ごしたことは、いつまでも憶えているよ。

あなたの人生哲学は?

自分を信じること。優しい人間であること。友達に誠実であること。

Interview: Bernadette Price