海外記事翻訳:トリニティ・アイリッシュ・ダンス・カンパニーNYレビュー
原文掲載サイト: | Metroland |
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原文ページURL: | http://www.metroland.net/back_issues/vol_27_no13/dance.html |
一次翻訳: | moriy |
注意: | メディアの翻訳許可もなく、Air翻訳班の査読を受けていないやっつけ仕事です。意訳・中途半端訳満載のはずですのでその点ご容赦下さいませ。誤訳チェック大歓迎です。 |
Happy O'Feet
By Mae G. Banner
(訳注:アイルランド系の名前につく「O'」(O'Brienとか)で、アイルランドの、という意味を表していると思われます。)
Trinity Irish Dance Company
Proctor's Theater, March 12
アイリッシュダンスの特徴をできるだけ短く表現するとしたらこんな感じだろうか:矢のようにまっすぐな上体、両わきに固定された腕、いくつかの基本的ステップを繰り返すポワントの(訳注:つま先を伸ばした)足。
しかし、伝統をベースにして、いまやダンスは霊性に満たされ、ふくらんだイマジネーションから新たな振付が噴き出してきている。トリニティ・アイリッシュダンスカンパニーは先週の金曜、Proctor劇場で公演を行った。それは古いスタイルと新しいスタイルが、思いもよらない順番で次々と現れるエキサイティングなステージで、新しい動きのパターンや方向、風変わりな登場と退場の仕方、自由な腕の動き、そしてちょっとした自虐的な皮肉などに至るまで、今年前半で最高のダンスコンサートとなった。
16人の女性ダンサーと2人の男性ダンサー、そしてピットの中の3人のフレンドリーなミュージシャンからなるこのカンパニーからは、古い様式の新しい見せ方を提示していることに対する誠実さとプライドがにじみ出ている。
1990年、芸術監督兼振付師であるMark Howardにより、シカゴで設立されたトリニティは、機械化されたRiverdanceとは大きく異なる。公演は十数曲のダンスで構成されソフトシューズダンスは、極めて優美なバレエのクオリティに迫り、ハードシューズによるjigやreelも同様にすばらしい。ステージにはマイクが置いてあるが、靴には仕掛けられていない。すべてのクリックは本物だ。
伝統を新鮮に保つために、Howardはカンパニーのレパートリーに現代の振付家の作品を散りばめている。そのなかで特に優れているのは、かつては自分自身もステップダンサーであり、STOMPやBill T. Jones/Arnie Zane Dance Companyでも踊っていたSean Curranによる作品だ。Curranは数年前から自分自身のカンパニーも運営している。彼は自分の振付の中でアイルランド人をからかったりもしている。
トリニティのための作品『Curran Event(2000) 』は腕を揺り動かしたり、身体をたたいて音を出したり、ペアになって手をたたき合ったり、子供の遊びのような雰囲気だ。プリーツの入ったミニスカートと白いハイソックス、ヘッドスカーフや後ろ向きにかぶった野球帽などの衣装は、カトリックの学校の制服を茶化している。
『Curran's Goddess (2004)』はアイリッシュステップを、Sheila Chandraによる古典的なインドの歌曲になじませている。東インド風の流れるような手と手首の回転と、アイルランド風の統制のとれたヒールやトゥの動きが結びついたとき、黒いバイクパンツの上に、赤とコバルトブルーのサリーをまとったダンサーはとても魅惑的に映る。静かな時間の中で、彼女たちは身体をすこしカーブさせ、「ナマステ」というように手のひらを合わせている。この融合は、頭で考えて作れるものではない。
もうひとつの新しい演目『The Irish and How They Got That Way (Part I)』は、たとえば教区学校にいたような(もしくは古いバラッドの中に登場するような)、定規を振り回す修道女のことなど、アイルランド人のステレオタイプを痛快なまでに打ち壊してくれる。振付家Harrison McEldowneyはパロディ作家Tom Lehrerの『Vatican Rag』『Irish Folk Song』をうまく使っている。その中でダンサーは家族の中での残酷な殺人をパントマイムで表現するが、彼女たちは観客と同じくらいこのとげとげしい犯罪劇を楽しんでいる。
伝統的なスタイルのダンスの中では、Howard作の『Out of the Woods (2002)』が、『真夏の夜の夢』の妖精のように軽やかで素早い動きを見せてくれた。Different Drums of Irelandによる8拍のリールはテープ音源なのだが、ダンスは裸足で空を駆けるような最高のものだった。清流の水面の輝きとでもいうべきだろうか。
二人の男性ダンサー、長身のPatrick Barnettと、がっちりしたDarren Smithのプレゼンテーションも素晴らしく、Smithのcross-footed weight-shifting(訳注:脚をクロスして体重移動する・・・rockのことか、cutのことか?)には目を見張った。Barnettも、驚くべきことに、蹴り上げた脚が鼻にまで届く。
Ashley Rolandの『Hibernia (2001)』はこのプログラムの中では場違いだ。白い羽根のついた冷たいブルーのユニタード(訳注:足首まで覆ってるレオタードみたいなやつ)を着て、ニューエイジミュージックに合わせてダンサーが腹這いになってストレッチしたり、身体をくねらせたり、マーサ・グレアムのコントラクション(訳注:筋肉を収縮させる動き)を行ったりする。どれも無理やりな感じがする。
Howardによるフィナーレの3曲『Treble Jig (1995)』『The Dawn (1997)』『Roisin Dubh (2004)』は、ハイテンションで始まり、そのテンションがさらに高まり、客席をエキサイトさせ、熱烈なカーテンコールで絶頂を迎える。ルーン文字のような模様で飾られたドレスに身を包んだダンサーが2列になって、照明の下に現れて消えていく。正確な打撃音は生きている有機体のようだ。バネのようなジャンプと整然とした着地、横から見ると槍のように脚を水平に保ってまっすぐに飛んでいくステップなど、すべてが伝統楽器にとる生演奏とテープのミックスに合わせて踊られる。
ミュージシャンはカジュアルなパブっぽい雰囲気で、ダンスの合間に演奏を行う。楽器はギター、ティンホイッスル、バウロン、アイリッシュバグパイプ(訳注:イリアンパイプスもしくはイランパイプスですな)、フィドルである。彼らはシャレが効いていて、フィドラーはProctor劇場のプログラムのエチケットリスト「べからず集」をもじって言った。「拍手し続けないとわれわれは感情を害する」
もちろん彼らがそんな心配をする必要はなかった。われわれ観客は拍手し通しだったのだから。