コラム:人は如何にしてRiverdancerとなるのか(1)
「Riverdance the Show」は現在、3つのカンパニーで世界をツアーしています。成立順に並べると・・・
- Lee Company
オリジナルのカンパニー。 - Liffey Company
1996年9月に結成され、はじめのうちイギリスをまわっていたが、98年に入ってオーストラリア・ニュージーランドへ。ヨーロッパをまわった後、来年3月、日本へ。 - Lagan Company
いちばん新しいカンパニーで、1998年1月、カナダのバンクーバーからツアーを始めた。
(00.8.22追記:この記事は1998年に書かれたものです。2000年から、Leeを中心にShannon Companyが結成され、Broadway公演を行っています)
(2003.10moriy追記:現時点でShannonは解散、LaganはBoyneと名前を変え北米を、Liffeyがアジアとヨーロッパを回っています。)
さて、来日するLiffey Companyのダンサーリストに、「Tokiko Masuda」という名前があります。どう考えても日本人の名前だということで、このサイトで小さく大騒ぎしていたところ、日本公演発表の翌日、メールボックスに「Riverdance/ Tokiko Masuda」というタイトルのメールが一通。
初めまして、「Tokiko Masuda」の親父です。
・・・というわけで急遽、桝田浩憲さんのご協力を得て、新コーナー設立です (^_^)。
Tokiko Sorcha Masudaさんの場合。
時期 | 出来事 |
---|---|
1978年10月5日 | ニューヨーク・マンハッタンで、日本人の父、アイルランド人の母の間に生まれる。 (Sorchaは英語で言うところのSarah) |
1983年 | ニューヨークにてアイリッシュ・ダンスを始める。 |
1984年 6月 | マサチューセッツ州に移る。 |
1984年 9月 | タップ、バレーを始める。(約2年続ける) |
1985年 | アイリッシュ・ダンスを再開。 |
1990年〜 | 約1年アイリッシュ・ダンス止める。 |
1991年 9月 | アイリッシュ・ダンスを再開する。妹の陽嘉さん(5歳)も始める。 |
小さい頃は日本語の幼稚園に通っていて、日本語もしゃべれたそうですが、いまではほとんど無理だとか。
娘たちが、アイリッシュダンスを始めたのは、たまたま嫁はんがアイリッシュだった為で、それ程、深く考えることもなくクラスにつれていきました。(中略)因みに楽器は、きっとその時ギネスか、ハープビールでも飲んでいたのでしょう、ハープを親(私)の独断で決めてしまいました。こちらは趣味で、時々楽しむといった様子です。
妹の陽嘉(Mairead Haruka/マレード・はるか)さんは今年の世界大会で6位。すごいですね。
さて、ソフトシューズでのリール・スリップジグを得意とする登紀子さんのその後です。
時期 | 出来事 |
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1995年夏 (高校2年の終わり) | UCG(ゴルウェイ大学)でアイルランド語の夏期講座。その時アイルランドへ移住、留学を希望するが、両親は猛反対。結局戻ってくる。 |
1996年 6月 | Eurovision Contestのアトラクションとして上演 |
1984年 9月 | 米国で高校を卒業。 |
1996年 9月 | ボストンのエマーソン大学入学。 |
1996年 11月 | 大学を退学。 |
1997年 9月 | ダブリンのゲイティ・スクール・オブ・パフォーミングアーツに入学。アイリッシュ・ダンスも続ける。 |
激動の十代です。もともとパフォーミング・アーツをやりたいと思っていた登紀子さんに、それでは食べていけないよとご両親が反対。
いつの世もやはり、そこが問題なんですね。
一度は説得されて大学に行ったものの、思いはやまず、2ヶ月で退学。そのころからRiverdanceもしくはLord of the Danceのことは心の中にあったのかどうか、聞いてみたい気がします。