海外記事翻訳:Breandan de Gallaiインタビュー

Apr. 24, 2001
posted by moriy
原文掲載サイト:Celtic Cafe
原文ページURL:http://www.celticcafe.com/People/breandan/interview.htm
一次翻訳:moriy
翻訳チェック&コメント協力大感謝:熊谷さん、トントンさん、ERINさん
Rotterdam, October 6, 1999
Interview and photos
by Caroline Oosterveer and Elvira Sprenger
Special thanks to Jean Grootveld-Conlon

お名前と年齢、誕生日、ご家族と全体的な経歴について教えていただけますか?

「名前はブランダン・デ・ガリ。アイルランド北西のドニゴール県Gweedore (Gaoth Dobhair)生まれの30歳。誕生日は1969年の6月10日。7人兄弟で、18歳から37歳までいる中のひとりだよ。

姉のSileと妹のSineadは小学校の先生をしている。弟のSeanは教師になるためにMarino(訳注:ダブリンのMarino Institute of Education)に行こうというところだ。妹のUrsulaはRoyal Collegeを出て外科医になろうとしている。今年で卒業なんだ。姉のDeirdreはオーストラリアに住んでいて子供も4人いる。そして兄のGerryはドニゴールでコンピューター関係の仕事をしていて、最近Callumって名前の息子が生まれたところだ。

母の名前はNellieで、父親の名前はGerry。父さんはベルファスト出身で、母さんはドニゴール生まれ。ふたりはニューヨークで出会って、60年代のはじめにベルファストに戻ってきた。ドニゴールに引っ越したのは僕が3歳の時だった」

どこの学校に行かれたんですか?

「Falcarraghという、Gweedore (Gaoth Dobhair)から10マイル離れたところにある町の学校に行っていたよ。そこはコミュニティ・スクール(訳注:中等教育で、国・地域の運営によるもの。詳しい人誰かフォローを!)だった。そこには1982年から1987年まで在学して、それからアメリカに行ってGus Giordano's dance academyに入った。そこはダンスの専門校で、学問的なクラスは一つもなかった。僕はそこでバレエ・ジャズダンス・モダンダンス・そしてタップを学んだ。

1988年にアイルランドに戻って、GlasnevinにあるDublin City Universityに入学し、4年間応用物理を勉強した。そのあとの1年間、僕は非常勤講師として小学校の内容から物理やゲール語や数学まで教えたし、それから女子校でも教えたんだ。(そこはなにもかもアイルランド語を使って教えるアイリッシュスクールだった。)

僕は物理学者としての免状もあるのだけれど、結局は教師の道を選んだ。教員免許も取ったよ。アイルランド語の試験もあったけど、僕には簡単だった。僕はネイティブだからね。女子校では2年間教えて、そしてRiverdanceが始まったんだ。

Riverdanceはダブリンで2月から(訳注:ダブリン初演は1995年2月9日)5週間出演したんだけど、そのときは教師も続けていた。夏休み期間中にロンドン公演(訳注:6月)に行って、またダブリン(訳注:7月)、そしてロンドン(訳注:10月)。4ヶ月もそんなことを続けたあと、教師をしてのキャリアをあきらめてRiverdanceのツアーを続ける決心をしたんだ。

最初はつらい選択だったけど、いま振り返ってみるとなんてことなかったね。いったい他にどんな選択肢があっただろう? ダンスは僕の一番の喜びだから、今となってはそう決断してよかったと思ってるよ。」

初めて全アイルランド/世界選手権に参加したのは何歳の時ですか? 何色の衣装を着ていましたか?

「たぶん14歳かそのくらいだったと思う。うちの両親はダンスをやっていたわけではないから、O'Seさんとか、Nolanさん、Roddyさんとこみたいな「名門」とは育て方が違った。

彼らはjigとreelの違いもわからないだろう。ただアイリッシュダンスは好きだよ。彼らはアイルランドの文化を愛していて、ホントにそれを理解しているんだ。ま、僕たちがステージに上がっているときは、新聞の日曜版に夢中になっていたけどね。

17か18歳くらい頃からいい成績を取るようになってきた。それまでは、8位までしかメダルがもらえない試合で9位になるようなことがよくあった。初めて世界選手権でメダルを獲得したのは19歳の時で、僕はその年の3位だった(でもそのとき僕は髪を伸ばしていてポニーテールにしていた。たぶんそれのおかげでメダルがもらえたんだと思う)。

はじめて着た衣装は青のキルトと紺のジャケットだったね。最後の衣装は、もう20代に入って競技会に対してより真剣になっていた頃だけど、bainninっていう白いキルトの一種と、バーガンディ柄のジャケットだった」

Riverdanceに参加された経緯は?

「ユーロビジョンの時のダンスキャプテンだったBelinda Murphyから電話をもらったんだ。たまたま彼女とは知り合いでね。彼女はO'Se兄弟やMcCormac兄弟、僕、Derek Conlon、Grainne Feely、あとは思い出せないけど、まあ僕ら10人くらいに声をかけたんだ。

みんな全アイルランドと世界選手権のシニアコンペティションの出場者で、みんなダブリンに住んでいた。これは重要なことだった。というのもユーロビジョン(訳注:1994年4月30日)までに2週間しか練習期間がなかったからね。マイケル・フラットレーが僕らと合流して、いくつか振りをつけてくれた。それをみんなで踊ると彼ら(訳注:制作スタッフ)は『合格だ』と僕ら全員に言った。

その後、彼らは他に何百人もオーディションをして、24人を選び出した。ショーのためのリハーサルが始まったのは12月だった(その間僕たちはRoyal Command Performanceにも出た)(訳注:英国王室のいわば御前演奏会。1994年11月28日)そのとき僕は、自分がそのショーに参加するのが当然と思われていることを知った。ユーロビジョンに出た全員がそれに選ばれたわけではなかったけれど」

Riverdanceに参加して一番よかったことは?

「年とともに変わってきたね。はじめのうちはただ楽しんでいるだけだった。僕らはそれが職業になるかもしれないとは思わなかった。

一番よかったのは、ダンスができること、それでお金がもらえること、カンパニーの友だちといろんなところへいけること。気心の知れたメンバーばかりだったからね。

僕とジョアン、RonanとKevin McCormacはDualtaっていう自分たちの小さなカンパニーを作っていた。僕らはAnunaとライブをしたり、(他の団体との)合同でライブをやってアイリッシュダンスでいろいろ実験的なことをしていた。それはとても楽しくて、ショーの後、僕らはいつもパブに行ってはアイリッシュミュージックにのってとことんまで踊りまくったものだよ。

そのときは楽しかったんだけれど、それを続けるのは大変だった。体調の維持に気をつけなきゃいけなかったからね。フルタイムのダンサーになるとあちこち痛んでくるし、年をとると無理がきかなくなってくる。

いま現在、一番いいと思えるのは、旅をして、世界を見て回れることだね。それに、Ahoy(訳注:ロッテルダムの公演会場)でもそうだったけど、お客さんがとても喜んでくれるから、ツアーはやめられないね」

Riverdanceの中にいていちばんイヤなことは?

「ホテルがイヤだね。僕はアパートメントの方が好きで、たまにそういうところで暮らせる場合もある。そういうときは自分で料理もするんだ。

他には、家族や友達となかなか会えないことかな。友達っていうのは学生時代の友達のことね。Riveredanceはひとつの大きな家族みたいなもので、僕らはみんな仲良しだけれど、6ヶ月もたつとつらいよ。

誰かが『とっても素晴らしいよ!』なんて言ってもそれはウソだよ。

朝起きて、一緒に朝ご飯を食べて、一緒にリハーサルをして、お昼も一緒に食べる。そして一緒に舞台に出て踊る。最初は楽しいけどしばらくするといい加減イヤになってくる。自分の世界が持てないんだ。

確かにホテルの部屋があるからそこに行けば多少のプライバシーは保てる。あれだけの人が周りにいても寂しくなることもある。女の子とつきあうのも難しい。カンパニーと関係ない子とつきあおうとしても、こういう(いつも飛び回っていて気持ちをフォローできない)仕事だから、どうしたってつい気まずい雰囲気になって、結局別れてしまうことになる。

カンパニーの中でつきあうのもやっぱり大変だよ。仲が悪くなっても一緒に働き続けなきゃいけないわけだから。
カンパニーの中で恋愛関係にまでいけたらいいと思うよ。そうなれば楽しいんじゃないかな」

いつまでアイリッシュダンスを続けるつもりですか?

「50歳か60歳まで踊るつもりだよ。いまとはレベルは全然違うだろうけどね。プロのダンサーとして週に3回は踊れるだろうけど、Riverdanceで、しかもプリンシパルでなんて、とても難しいことだ。

ぼくは以前よりもうまくやっていると思うけど、それは経験を積んだおかげだ。僕には18歳とか19歳のアンダースタディがいるけど、経験は若さよりも重要だと思う。

Riverdanceはハードな仕事で、なにか他のことをする時間がもう少しほしいんだけど、いまは無理だね。たまには『ああもう、今夜は踊りたくないよ』と思うときもあるけど、そうだね、なんとかやってきた」

有名になるのはどんな気分ですか?

「ベルファストにいる親友はこんな風に言ってた。『おまえは一番いい形の有名人になれたよな。マイケル・ジャクソンやマドンナみたいにプライベートがなくなるほどではないけど、運転手付きの車に乗って、いいホテルに泊まれる。たくさんの人が君のことを知っているけれど、君の邪魔をすることはない』

たしかによかったと思うよ。みんなが僕のことを知りすぎてたり、あまりにも僕について知りたがったりする時にはちょっと怖くなるけど。自分の好きなときに自分の時間が持てるようでありたいんだ。邪魔されたくない時ってあるんだよね。ときどきレストランなんかで僕のところにきて話しかけてくる人がいるけど、そういうときは「あなたとお話しできてうれしいんだけど、いま食事中だし、連れに悪いから」って言うんだ。

そういうことがよくあるんだ。ちょっと来て『やあ、今夜の舞台見たよ。すごくよかった』とか声をかけてくれたり、ささっとサインをするのはいいんだ。そういうのは問題ないんだけどね。

パリで両親と過ごしていたときもそう。両親とは4ヶ月ぶりに会ったんだけど、それで僕が彼らと一緒に過ごしたがっていることはわかってもらえると思う。アイルランド風に言えば『気を利かせて』、それぞれのプライベートを大事にすればいいと思う」

将来のプランは?

「他にもいろんな夢を持ってる。Riverdanceでも35歳かそれぐらいまでプリンシパルとして踊り続けたい。たぶんその後も、いま僕がプリンシパルとしてやっているほどは踊らなくてもいいような、Riverdanceでのフラメンコダンサーみたいな形でショーに関わっていくかもしれない。

他には、テレビとか、たぶんジョアン(非常に親しい友人なんだ)と組んだショーとか、映画とかかな。アイルランドに住みたいと思うけど、仕事の都合として他の場所に行くならそれもいい。

アイルランドに住むならダブリンかドニゴールだね。ドニゴールは働いていないときと、ただゆっくり過ごしたいときに行く。ダブリンには友達がいっぱいいるから、何か仕事をしたりプロジェクトの期間中を過ごす。ダブリンでの、人づきあいの多い生活も素晴らしいよ」

あなたにとってのアイドルは?

「うーん、そうだな、僕にとってのアイドルの一人には、その人となりが非常に興味深かったという理由でロシアバレエ団のワスラフ・ニジンスキーをあげたい。彼はヌレエフより前の人だった。分野は違うけど、とても興味深いとともに狂気のようにも思える。驚くべき人だよ。

アイリッシュダンスで言えば、なんといってもGrainne Feely。彼女はショーには出たことがないけど、9回か10回世界タイトルを取ったことがある。僕にとって彼女はもっとも感動的で、いままでで一番独創的なダンサーだ。彼女を見られないのはすごくもったいないことだと思う」

毎日マッサージを受けているそうですが、それはどうしてですか?

「僕は1日に2回マッサージを受けている。みんなマッサージはただそこに横たわって、誰かにリラックスさせてもらうだけの贅沢だと思ってるようだけど、決してそんなんじゃないし、リラックス出来るわけでもないんだ。

そういう時もあるけど、ほとんどの場合マッサージはつらいものなんだよ。というのも僕らくらい踊ると、どんなにストレッチしたりウォームアップしたりしても、筋肉が固くくっついてほぐれなかったりするんだ。だから僕はマッサージセラピストのところに行って筋肉や指やひじを揉んでもらう。跳び上がって天井にぶつかるくらい痛いんだよ。

本番の前には30分のマッサージを受ける。それは一種のウォーミングアップで、ちょっとしたストレッチでもある。靱帯をやわらかくすることで関節をすこしでも動きやすくして、カット(訳注:かかとが反対側の腰骨に当たるくらいの勢いで足を内側にヒュッと曲げる)やキックをしやすくするんだ」

好きな音楽は?

「一番よく聴くのはビリー・ホリディだね。アイリッシュのアーティストも好きだよ。ニーヴ・パーソンズとか、アヌーナとかね。

フィオナ・アップルっていうカナダの歌手もよく聴くね。クラシックも好きだ。ベンジャミン・ブリテンとかストラヴィンスキーとか。ビョークからクラシックまでたくさんのCDコレクションを持ってるんだ。音楽はどんなジャンルでも好きだね。

シークレット・ガーデンも大好きだよ。最初はただのBGMだと思ってたけど、よく聴いてみるとものすごく良くて、いまじゃ大好きになった」

ディスコダンスなんかはされるんですか?

「ディスコダンス? どういう意味でのディスコダンス? クラブでやってるようなの?

もちろん! ダンスは大好きだもの。本番の後だとつらいけれど、外に出られる時には行くし、音楽さえ良ければ踊るよ。もちろんさ」

好きな食べ物や飲み物は?

「食べ物や飲み物の類で好きじゃないものはほとんどない。外で飲むときはギネスだね。外国でも、例えアイルランドで飲むよりはおいしくなくても、やっぱりギネス。お店のメニューにあればまずギネスを飲むね。暖かい飲み物のなかではアールグレイの紅茶。毎日、もう数え切れないほど何杯も飲むよ。

食べ物でいうと天然のものかな。肉では鴨が好き。エビ・カニもよく食べる。まあ何でも好きだよ。ドイツ料理はあんまり好きじゃない。牛肉やクリーム、白いパンが多すぎて、あまり健康的な食事じゃない。イタリアンやフレンチは何でも好き。いいシャンペンも大好きだよ」

Riverdanceに関して、なにか笑えるようなこぼれ話はありますか?

「もちろんさ! けど、秘密にしておくよ」

後記:
ブランダンに会うことが出来たのは、とても素晴らしいことだった。このエネルギッシュな人と話していると、誰でも、ほとんど何でも出来るような気になると思う。
彼はフレンドリーで、気さくで、時にシャイな一面も見せてくれた。ありがとうブランダン。