ライブ&レポート:NANYA-SHIP公演 芝居仕掛けの音楽会「世紀末・愛蘭土 〜イエイツとグレゴリの作品による〜」
渋谷ジャンジャンにて(12月11日観劇)
一幕「マクドナウの妻」L.グレゴリ作とある宿屋。女の泣き叫ぶ声がひとしきり響き渡る。テーブルを囲んで二人の老婆が宿屋の住人で笛吹きのマクドナウの話をし始める。彼が稼ぎに出ている間、彼の妻は流産がもとで死んでしまったのだ。が、誰からも良く思われていなかった彼女の葬式に手を貸そうとする者がいない。帰ってきたマクドナウは事の次第を聞かされて悲しみ逆上するが、弔いの準備をする彼のもとを訪れたのは羊の毛刈りたちだけだった。
二幕「カスリン・ニ・フウリハン」W.B.イエイツ作北西部の港町キララ。婚礼を明日に控えた青年の家を、ひとりの老婆が訪ねてくる。休むことなく旅を続けてきたという老婆は、自分を愛した者たちはその愛ゆえに皆命を落としてきたと語る。青年は、謎めいた老婆に惹かれるように、自分も一緒に行くと言い出す。おりしも、遠くから上がる歓声がアイルランド人の革命の応援にやってきたフランス軍の上陸を告げていた。家族や婚約者が止める声にも耳を貸さず青年は家を飛び出してゆく。
NANYA-SHIP代表者の南谷朝子さんが今回の企画を考えた際に出会ったのがアイルランド音楽家の守安功さんだったそうです。役者たちと共演する音楽…ジャンジャンの小さな舞台空間で、守安さんたちの奏でる笛やハープ、コンサーティーナは、飾り気がなく素朴で、自然とそこに息づいて在るかのようでした。「アイルランドでは音楽は音楽だけでは成立しない。そこには常に、ダンスやお喋りや酒や、そして土のにおいや風の音が充満している」と守安さんもプログラムに書かれておられますが、そんな雰囲気を想像させるひとときでした。
19世紀末に書かれた両作品の舞台は、ともに18世紀末のアイルランド。一幕は、家の戸口の前で「泣き女」が泣くと、その家の誰かが必ず死ぬという言い伝えだそうです(遠野村でも聞けそうなお話)。二幕は、イギリス支配下のアイルランドでのフランス・アイルランド連合軍の敗北の歴史を背景としており、ダブリンで初演された時には熱狂的に支持された作品とのこと。劇中、「心はとまらず旅を続けている」という謎の老婆がうたう歌に魅せられていく青年の姿に、ともに愛蘭魂を呼び覚まされる思いだったのでしょうか。
役者陣については、二作ともに主人公を演じていた男優さんがどうも…台詞が咀嚼されていない感じで聞き苦しかったです。出番は少なかったけれど、二幕での主人公の弟役の女優さんは素敵でした。女性が演じる男役ならではの中性的な魅力が私は好きなんですけど、彼女が主役の青年だったら芝居も変わっていたと思うんですがねえ。
今回の舞台で一番印象的だったのは、幕間の音楽とダンスでした(実は眠気におそわれつつあった私を一気に覚醒させてくれたのがこの数分間だった…)----- 登場した4人の人物は、椅子の足を床に打ちつけたりテーブルを叩いたりしながら、一幕での主人公の憤りを体現するかのように踊り始めて、まるで主人公が亡き妻と再び相見えたかのごとく一組の男女がテーブルの上で手をかざしあう情景で終わる(ように見えた)----- 彼らはハードシューズなどを履いているわけではありませんが、椅子や握りこぶしを使って刻まれる素朴で力強い音がコンサーティーナの奏でるリールの旋律とまじわるときに初めて、充ちていた空気が躍動し始めたというか…。私を惹きつけていたのは、そこに響いていた至極シンプルな「音」だったんですよ。やっぱり、音を出しながらリズムを創っていくダンスが根本的に好きなんだわねと改めて思った次第。そうしてその「音」は確かに空気を震わせて、束の間、私の心も揺るがしていたのでした。
「チラシはもらってたんだけど行けなかったんだ、これ」
「うーん・・・」
「なに?」
「うーむ・・・」
「『そしゃく』か? それとも『あいまみえる』か?」
「だいじょーぶ、読めます・・・ん?」
「?」
「あ、なんだ『折しも』か」
「???」