ライブ&レポート:『川畑文子と中川三郎 戦前タップの黄金時代』

 
Nov. 1999
posted by moriy

てなわけで(平成11年7月10日 午後5時30分(8時まで。途中休憩あり)@江戸東京博物館)行って来ました、乗越センセのセミナー。ニッポン・ジャズエイジ発掘隊(第2回報告会)『川畑文子と中川三郎 戦前タップの黄金時代』。
開場前、いそがしく飛び回っているスタッフの中には見知った顔がちらほらと。冨田タップダンスカンパニーの面々が協力していたようです。

取材に協力されたような方々なのでしょう、招待席を中心に、会場の平均年齢はかなり高め。

乗越さんも「この当時のタップを知ってる人はたいてい元不良ですから(^_^)」とおっしゃってましたが、何かと暗い側面しか取り上げられない昭和初期、おそろしく(もしかしたら現在よりもずっと)洗練された文化があったということの生き証人がずら〜っと。

会場には真ん中にコンパネ(15mm厚くらいの合板)を敷き、下手にキーボード(後半のライブで使用)、上手にデコラ(折り畳みの机)を2つ並べ、その上にビデオデッキ・カセットデッキ・PowerBookG3という簡単なプレゼン準備。
なんか市民会館の講座みたいな感じでした。

第1部 よみがえる川畑文子

まずは乗越さんが当時の写真スライドや映像を見せながらプレゼン。

川畑文子さんについては小説『アリス』やミュージカル『青空』(また再々演するそうです)で紹介されたことをなぞる感じでしたので、くわしく知りたい方は上の小説をどうぞ。ハワイ生まれの日系3世で、幼くしてブロードウェイのスターとなり、17歳で当時の日劇のこけら落とし公演の主演をしたという、とんでもない人です。

スライドでは、小説の中にも出てくるオーフューム劇場の写真もあって、これがものすごく豪華。日本の国会議事堂よりも深いニスの豪華さ。こんな劇場に9歳で立ったってんだからスゴイと感嘆。

続いて文子さんの得意技「ハイキック」の紹介。要は片脚を人並みはずれて高くあげるというワザなのですが、ここで乗越さんは「良いハイキック」と「悪いハイキック」を映像で見せてくれました。映画のシーンの抜粋なのですが、「良いハイキック」がバレエの基本に基づいた、正しい形をしているのに対し、「悪いハイキック」は単に「関節が異常に軟らかいヤツ」でしかない、と。会場一同笑い。

ロサンゼルスで乗越さんのインタビューに応じた川畑文子さんの写真と映像も公開されました。もうかなりのお年で、腕なんかものすごく細いのですが、背中はピシッとしてらっしゃいました。やっぱりダンスの修行の結果なのかなあ。日本を離れてかなりたっているはずなんですけれども、日本語はものすごく流暢。

そしてついに「動く川畑文子」の秘蔵映像!です。昭和10年のニュース映画の中から見つけたそうで、発掘隊の面目躍如ですね。『上海リル』を歌っている1分39秒の映像で、ハイキックの場面はないのですが、かたわらのピアノの上にファン(鳥の羽でできた扇)が載っているので、これを使ったダンス(ファンダンス)もこの前後にあったのではないか、とのこと。

第2部 戦前タップの黄金時代

休憩を挟んで、壇上には乗越さんに加えニッポン・ジャズエイジ発掘隊の顧問、ジャズ評論家の瀬川昌久先生と我らが冨田かおる先生、そしてとても品の良い老婦人がひとり。なんとこの方、中川三郎さんのベストパートナーといわれた姫宮接子さん!!

昔の写真を見てもとーってもお美しい方なのですが、いまも非常にお美しい(「おうつくしい」乗越さんもドモってました(^_^))。いやもう、なんか素敵。ああいうおばあちゃんになるような嫁さんがほしい(なんのこっちゃ)。

当時の写真をスライドで見ながら、また当時の音源を聴きながら、主に瀬川先生と姫宮さんの当時のお話を聞く、という形で第2部は進行していきました。姫宮さんの口から、日本タップ創生期のスターの名前がぽろぽろと。「姫宮さんの話を聞く会」でも3時間はラクに持ちそうな勢い。

姫宮さんのお話の中にときどき「PCL」という会社の名前が出てくる。どーでもいいことですが、わたくしmoriyの母方のじいちゃんはこの会社で録音の仕事をしていたそうな。

姫宮さんが6歳からタップをはじめた背景には、アメリカの名子役Shirley Temple(メンソレータムのマークは彼女をモデルにしたとかしないとか)の影響で、いいトコの家では、子供をタップ教室に通わせる流行があったとか。

新橋に開設された日本最初のタップスタジオ「ジョージ堀スタジオ」の写真なども。ちゃんと木の床で、壁一面の鏡もバーも完備。冨田先生も感心してました。

中川三郎さんと姫宮さんのツーショット写真。乗越さんが「大阪新聞の本社屋上ということですが・・」と紹介すると「これは吉本の屋上ですよー」と本人からツッコミが入ったりして。どっちを信じたらいいものか会場全員が苦笑。

当時のスターや、川畑文子さんのタップ音の入ったSP盤の音の紹介。冨田先生が、ほかの曲ではカウントの頭からステップが始まっていることが多いのに対して、川畑さんのステップはウラから入っていると指摘。ステージ中央の板の上で、タイムステップで実演してくださいました。

第3部 ミニ・ジャズ・ライブ

ジョー蒲池さんのキーボード、「歌う学芸員」こと松井かおるさんのボーカル、そして冨田センセのタップ。第2部で川畑さんがタップを踊った音源として紹介された『イエス・サー・ザッツ・マイ・ベイビー』の音がライブで再現されました。

とにかく次から次からいろんな話が出てきて尽きません。姫宮さんだけでなく、会場にいた往年の不良少年・少女一人ひとりに話を聞いても面白いかも知れません。

次回は中川三郎さんの主演映画『舗道の囁き』が見られるかな・・・という感じです。これからもニッポン・ジャズエイジ発掘隊には注目です。

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