海外記事翻訳:プロジェクト方針
このプロジェクトは、Air(www.riverdance.org)サイトに関連したジャンルの、外国語(とりあえずは英語)圏のWebサイトの情報で、日本語化したい記事をどんどん翻訳して、ページにして公開していこうという企画です。
翻訳は有志のボランティアにお願いし、可能であればお互いに作業分担し、そのアウトプットに対してもお互いにツッコミを入れあい、だんだんと良いものにしていくという方式をとります。
翻訳といっても、古典的名著を扱うわけではないので、内容はどんどん古くなることを認識すること。訳文にこだわる暇があったらさっさと公開してツッコミを受け付けた方がいいと思います。よりよい訳文にする努力はするべきだけれど、重点を置くべきは翻訳作業そのものではなく、より多くの情報をいち早く日本語圏の人につたえること。
あまり難しく考えず、気楽に行きたいと思っていますが。
翻訳の対象とするのは、ある程度信用のおけるサイトが、正々堂々と公開しているものに限る。歴史的に残す価値があると思わせるものならなおさらよい。当然、他の場所で日本語化されていない内容でないと意味がないですね。
原著者およびサイトの意向は尊重する。しかし体裁その他(下記「メンバー内公開」参照)について、こちらのやり方を向こうに合わせるまでのことはしない。原著者が「訳しちゃダメ」といったら訳さない。ネットで公表しておきながらそういうこと言うひとはあんまりいないと思いますが・・・。
翻訳許可は最初は事前に取る。一度OKをもらったサイトの別のページであれば、事後でもいいかも知れない。
第1回目をやってみて、1度に1プロジェクト、1プロジェクト3〜4人で運営しないとうまくいかないような気がしています。しばらくはメンバーを絞って最適なペースを探りたいと考えています。特に作業期間は決めず、適宜、参加者同志で調整することとします。早ければ早い方がいいのでしょうけれど、それが参加者のみなさんのプレッシャーになるようではイヤなので。
参加者はメーリングリスト(ML)に登録され、関連の連絡はこのMLを通して行う。
訳したい文章を見つけたらMLで提案する。自分一人では手に負えないと思ったときは作業分担を提案する。分担したほうがたぶん作業が早く進むけれど、一人である程度まとまった量をやらないと、前後がわからなくて変な訳になるような気がします。分担する場合、その割合は提案者主導で賛同者間で決める。和訳の許可も取る(窓口は原則moriy)。
あとからツッコミが入れやすいように、主要な段落(インタビュー記事であれば各質問)ごとに番号を振る。
個人的なコメントには(訳注:○○・・・)と文中にコメントを入れていく。長くなる場合は別段落にしてもいい。参考URLがあればそれも書いておくと付加価値がついていいかも知れない。
逆に、わからない部分が残るのであれば(※ここ、よくわからないんだけど・・・)とわかりやすい場所に書いておく。直してくれる人が現れるかも知れない。
ある程度の体裁になったらmoriyあてにメール。できればメールの文面ではなく、テキストファイルの添付で。圧縮するなら.zipか.lzhか.sitで。.exeは不可です。
内容に関すること(言葉の問題ではなく)で、文章そのものの意味にかかわってくるような問題で、グループ内でも決着がつかない・わからないことは原著者に聞く。 (ここまでやることはほとんどない/もしくはできないと思いますが)
公開する和訳ページには参加者の名前を入れる。
ツッコミを入れてくれた人の名前や謝辞も適宜追加する。
和訳ページからは、原文ページと、原文を置いているサイトのトップページにリンクを張る。
ページデザインには凝らない。と、いうか、公開後も次々ツッコミが入って修正されることになるので、凝っていると加工・編集しにくくなる。原文にある文字装飾はできるだけ反映するつもりですが。
まずMLメンバーに和訳ページのURLを流す。各メンバーは言葉の面、記事内容の面、誤字脱字その他の面についてツッコミを入れる(もしくは訳者の疑問に答える)メールをMLに流す。この際も、目的は翻訳そのものではなく情報の伝達であることに留意すること。特に賛同者でなくてもツッコミは入れられる。
それぞれのツッコミに対してML内で確認した後、修正の必要があれば加える。修正するかどうかの基本的な判断基準は「ML内で反論のない提案は採用」だが、最終的な判断は原則提案者(もしくは主要翻訳者)が行う。いちおう全文に目が通った段階で、提案者(もしくは主要翻訳者)が修正版の原稿を再びmoriyあてに送る。
まずMLメンバーに和訳ページのURLを流す。各メンバーは言葉の面、記事内容の面、誤字脱字その他の面についてツッコミを入れる(もしくは訳者の疑問に答える)メールをMLに流す。この際も、目的は翻訳そのものではなく情報の伝達であることに留意すること。特に賛同者でなくてもツッコミは入れられる。